広島高等裁判所 昭和27年(う)157号 判決 1952年5月19日
控訴人 検察官 片岡力夫
被告人 北村シズ子
弁護人 白川彪夫
検察官 杉本伊代太関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
検察官片岡力夫の控訴の理由は記録編綴の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これをここに引用する。
論旨第一点 原判決には法令の適用を誤つた違法があるとの主張について
本件売いん等取締条例の目的とするところは、同条例第一条に売いんに関する諸行為を取締ることにより善良の風俗を維持し、社会の健全なる発達を図ることを目的とす、と規定しているので、例えば昭和二十四年東京都条例第五十八号第四号のように、売いんのあつ旋の目的を以つてする一切の勧誘行為又は客引行為を禁止し、これを取締るのでなければ、完全にはその目的を達し得ないといわねばならない。然しながら売いんは公には禁止されているとはいうものの、広島県に於ては現実には一定の条件の下に、殆ど公認された形に於て許されているので、勧誘乃至あつ旋の行為を全く禁止し得ない実状にあるものとして、前記広島県条例第三条、第四条に於て通行人その他の者の進路に立ちふさがり、又はその身辺に追従したりなどして勧誘又は客引をすることを禁止する規定を設けざるを得なかつたものと認められる。
従つて同条例第四条第一号に通行人その他の者の進路に立ちふさがり、又はその身辺に追従したりということは、所論のようにその例示にすぎないところではあるが、勧誘又は客引する一切の行為を禁止したものと解すべきではなくして、通行人その他の者の進路に立ちふさがつたり、又はその身辺につきまとふたりなどして、通行人その他の者の交通の妨げとなつたり、又はこれらの者に迷惑を感ぜしめ、或は又困惑せしめるような仕方、その他善良な風俗を害するような振舞によつて勧誘し又は客引することを禁止するにあるものというべきである。
ひるがえつて、訴訟記録を検討するに、被告人が売いんの勧誘又は客引をするに当つて、右に説明したような振舞に及んだと認むべき点は見当らない。
論旨は結局右条例第四条第一号の解釈を誤解したものであるから採用し難い。
論旨第二点 原判決には事実を誤認した違法があるとの主張について訴訟記録を精査し、所論を検討するに、たとえ所論のような事実があつたとしても、被告人に於て前段で説明したように溝手年昭に対し交通の妨害となり、又は迷惑を感ぜしめるような勧誘乃至客引の手段にいでたと認めるに足る証拠は存在しないから、原判決に事実の誤認はない。
論旨は結局右条例の趣旨の誤解から出発したものであつて理由がない。
その他記録を精査しても、原判決には事実の誤認その他の違法はない。
論旨はいづれも理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に則つて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 伏見正保 判事 宮本誉志男 判事 小竹正)
控訴趣意
第一点原審が法令の解釈を誤つていることは明らかである。
原判決は被告人が売いん斡旋の目的で溝手年昭に対し「よつて行きなさい」と申向けて遊興を勧誘した事実を認定し乍ら、昭和二十五年広島県条例第四十八号売いん等取締条例(以下売いん条例と略称す)第四条第一号に所謂進路に立ちふさがり又は身辺に追従することの二個の行為の内何れに該当する事実もこれを認めるに足る証拠が無いから犯罪の証明がないと判定したものである。右二事実を認めるに足る十分な証拠の存する事は第二点で後述することとして、ここでは先ず売いん条例四条一号は右の如く進路に立ちふさがる行為と身辺に追従する行為を禁止し、又この二行為を禁止するのみであるかどうかについて検討して見よう。
抑々本条例の目的が風俗取締に存すること(売いん条例第一条)に鑑み四条一号が禁止しているのは売いん斡旋者の街頭における勧誘行為又は客引行為であると言わねばならない。即ち、右四条一号は人の進路に立ちふさがり又はその身辺に追従する行為の禁止に重点があるのではなく、勧誘行為、客引行為の禁止に重点が存することは明らかである。何故なれば進路に立ちふさがる行為、身辺追従行為の禁止は既に本条例公布より遙かに以前に法律である軽犯罪法第一条二十八号が具体的に規定していることによつて充分である。斯る事情よりして本条文に進路に立ちふさがり又はその身辺に追従したりと二個の行為を列挙したのは勧誘又は客引の手段方法を例示したものと解するのが妥当であろう。即ち右二行為の挙示は例示的であつて右二行為に限るのではなく、これと同等のこれに類似する他の行為も亦当然に勧誘行為客引行為であつて本条の禁止するところと解せられる。何故ならばこれを本条文の字句より観ても若し「立ちふさがり」と「追従」の二行為のみに限定して他の類似行為を包含しないものとすれば「追従したりなどして」の「など」は全く無用の長物であつて無きに如かざる字句である、然るに態々「など」を加えている事からしても亦前記二行為の挙示は例示的であると言わざるを得ない。又字句前後の関係から考察して見ても「通行人その他の者」とある「その他の者」とは例えば公園のベンチ等に腰を下して居る者等を言うものと解せられるが斯る停滞者の「進路」「に立ちふさがり」又は「その身辺に追従する」事はそれ自体不可能な事柄であつて、この場合次に来る「たりなど」と言う字句の中に「進路に立ちふさがり又は其の身辺に追従する」以外の勧誘行為、客引行為を予想して初めて本条文が前後矛盾なく理解出来るのである。然るに原審が売いん条例四条一号に謂う勧誘又は客引行為は進路に立ちふさがるか又は身辺に追従するかの行為でなければならず、これ以外の行為はこれと同等な類似行為あるも本条の適用外であると解しているのは明らかに法令の解釈を誤り、惹いては法令の適用を誤つたものと言わざるを得ない。
若し斯る過誤が無かつたならば溝手証人の法廷に於ける証言一つをもつてしても本件犯罪の成立を認めるに十分であつて到底原判示の如き結果には至り得なかつた筈である。(記録二〇丁裏九行、同二一丁表一〇行、同二一丁裏四行-同九行、同二六丁裏七行-同一一行、二七丁表三行-同九行)
因つて原審が法令の解釈を誤りその誤りが判決に影響を及ぼした事は明らかである。
(その他の控訴趣意は省略する。)